【簡素生活の実験】

・まえがき・
 この小冊子は、今から約20年前に東京から高知県四万十市(旧中村市)に移り住んだ沖祐之さんの手記です。今で言うエコロジー、地球環境に配慮した生き方を実践しようとした方です。
 残念なことにご本人は、1998年に死去されました。偶然のきっかけから出会った沖氏の志をくみ、少しでも多くの方に、このような生き方の選択肢もあることを知って頂きたく小冊子を電子化しました。少しでも皆様のご参考になれば幸いです。   
2006年早春
      インタープレス・ジャパン編集部
インタープレス・ジャパン
― 場所の説明 ―

 著者の沖祐之さんが簡素生活に選んだ敷地(しきじ)という場所は、四万十市の土佐くろしお鉄道駅から北に五㌔、自動車で約十五分の場所に位置します。
 国道四三九号からはずれて、細い農道の最奥にあります。 四万十市(旧中村市)は、高知市から約100キロ西南に位置し西の小京都と呼ばれ、有名な清流四万十川を有します。市町村合併する前の旧中村市の人口は、約3万6千(平成15年時点)です。 

― 市の歴史 ―
 1467年の応仁の乱で京が兵火の巷と化した時、前関白の一條教房(のりふさ)公が土佐の豪族らに迎えられ、その荘園である幡多に下ってきました。この地に居を構えた一條氏は、都の文化を移し、京を模したまちづくりをすすめて現在のような碁盤のまち並みとなりました。その名残りは、四万十市(旧中村市)の町名である東山・京町通・一条通などに現れています。

四国西南の地図

<高知県四万十市・・・高知市から西へ約100キロ>

四万十市概略
<四万十市の中心(旧中村市)>

佐田の沈下橋 ウルトラマラソン 四万十川:赤鉄橋から
      ―四万十川と沈下橋―
 <撮影:野村昌樹 Olympus E-1.zuiko35mm>
沖氏の土地 敷地にある自作の家
      まわりに人家はないが、自転車で少し行けば町に出られる。

手入れしないとすぐに草が生える
 現在は、絵画子供教室やアトリエになっています。
<本文>

 田舎の生活

 私の自作、6坪で100万円の近代住宅は清流四万十の河口近く、海山近い小京都中村市中心から車で10分、人口100名たらずの村落から、さらに600メートル奥に入った山間にぼっつり建っています。丘陵に囲まれ、渓流が走り、年中緑また緑で、奥の田畑を耕すお百姓が日に一、二度通り過ぎるだけで、終日ひっそりと聞こえるのは春の小鳥達、夏の蝉しぐれ、秋の虫の声ばかり。部落の人々は「さびしくないかぇ」と心配してくれます。
 
 昔と違い、車も通うし、郵便配達も来てくれ、時にはセールスや宗教勧誘まで訪れ、月に2、3度、来客もあり、テレビも観られるし電話も通じ、一休、良寛には申し訳ないくらい誠に便利でにぎやかな近代的独居生活です。750坪の廃田を坪1700円で仕入れたのです。これはゆくゆく同憂の士と共有するつもりで買ったのが、目下広すぎてもてあましています。 
 このところ4、5年、5アール(150坪)だけを田んぼを復活して、自給と実験に供し、自然農法・有機農法といろいろ試し、いったん緩急あれば何とか自給する自信はつきました。畠は30坪ほど拓いて、タネを蒔き、草も採らず耕さず、収穫だけというズボラ農法で、こっちもその気になったら自給できる自信がつきました。残った500坪弱はさくらんぼやみかん、柿、桃、梅、キーウィフルーツと植えっぱなしにしておいたら、みかんを除き大半根づいています。
 今年は田んぼを休耕し、思索、読書、観テレビ、外遊と遊んでばかりで、時々、見てくれと体ならしの目的で草刈りをやるだけの毎日です。

 ささやかな提言

 こういう生活を観て、不徹底な都会人のお遊びとか、現実逃避という人も多いのです。
 しかし、私はそのように考えておりません。
 現実逃避と批判する人は、文明批判は都会で声をあげてこそイミがあるということを主張します。これは現代のように通信交通の発達した時代にあって時代錯誤の考えです。地方にあっても、東京に居るのと同じ発言はできますし、現にこうやってペンをとって意見も言えます。
 また、都会で声だけあげるより、実際に田舎へ来て、実践の中から物を言うのとどちらが逃避なのでしょう。せっかく田舎に来て、農に真剣に取り組まない不徹底さは、誠にその通りで、実際に体を使って額に汗を流し、農林漁業の実業に取り組む方々には脱帽するばかりです。
 しかし、私のように生まれてから50年も都会で暮らし、志はあっても体の動かぬ都会人も多いことでしょう。このような都会人にどこまでやれるものか、というところを私は実践してみたいのです。
 続ければ今より十倍も百倍も作れる資産作りを必要最低限で見切る賢さ、不徹底であっても田舎へ来れば月5万くらいの生活費でかなり優雅な文化生活ができること、こういうことの身の実践を伴う、ささやかな提言として世に伝えることが、最も実際的で効果ある世直しと私には思えるのです。
 だから、自作の我が家はエアコンあり水洗便所あり、ひねるとお湯の出るバスタブなど、都会人が抵抗なく入れる文化的妥協をしてあります。
 後進国の飢え寸前の十億を超える人々や、諸々の南北経済格差を考えると、私の今の生活などぜいたくでお恥ずかしい限りです。しかし、私たち一人一人が簡素な生活に向かえば、反原発や自然保護など劇的に改善される気がします。

だれに(どこへ)向かっての提言か

 私は今まで努めて多くの人々に会い、世直しの意見を聞いてみました。大体これには四つのグループがあるように見えます。
 第1のグループは、いわゆる人格高潔な方々で、個人の心境の変革から始め、理想を説いて世直しに向かおうとする。この人々の運動の欠陥は、俗人がたやすく悟性を転換できないことと、説く人がすでに物欲など、俗人がもっとも大事にするものから逸脱しているので、ついその点に対する具体的な指示がおろそかになってしまうことです。
 
 第2のグループは若者が主体で、現代の悪に感覚的に気づき、論理は少なく、行動に徹している。その行動たるや、私のような俗物にはついていけぬほど立派なもので、お金は気にかけず、生活は質素そのものというタイプ。この人達の欠陥は、まず時代の主流を占める中流家庭のサラリーマンの俗性に理解も少ないし、同情もあまりない。従って理解ある協調も得られにくい。また感性で入る人が多いので、論理的に物事を整理して考えるのが不得手で、またそれに必要な社会経験も少ない。従って人や物事に対する反応は情緒的で、以上の結果、永続性があまり認められない点にあります。
 
 第3グループは、啓蒙運動のみやっている人々。即ち、広島に8月に集まる平和運動グループや、文化人の平和アピールなどで、その気持ちは分かるが、私の関心の的である現実の具体策が欠如している。実は私はこれらの人々に余り話をする気になれず、会ったことも少ないので、多分偏見があるかもしれません。
 
 第4の最も人数が多く時代の主流を占めるグループは、今の日本の行政経済機構にしっかり組み込まれ、それを支えて生活している人々です。

 その欠陥のひとつ-思い込み-


 この世の中を良くするには、結局良くも悪くもこの日本を支えている第四グループの人々を主として対象にし、その人々の俗性を自らと同じと認め、思い込みだけは除いて、その人々の中でも出来ることのなかから世直しの契機を掴むしかないと考えています。この人々の中でも、都会に住む人々の動向が最も重要で、地方の人々は都会人に追従しているのが現状です。
 そこで同様に都会で育ち、同じ俗性を持つ私が実践している「お金の要らぬ優雅な生活」を目指すことが、都会人にアピールする世直しの提言のような気がするのです。

 お金のかからぬ生活のすすめ

 この殺伐として大変な世の中で、平穏な心を保ち安定した生活を送りたい。これは大部分の人々の願いでしょう。それには、いわゆる《悟り》を開き、周囲にも感化を及ぼしていく、という本物の《人物》の在り方がいちばん理想的に見えます。がしかし、我が強く典型的な俗物の私が、この年になるまで一生懸命考え、努力してもなかなかその一歩にも辿りつけない。まあ、一生の課題と思っています。
 ところが、この俗物の私でも、あくせくと働き、月に20万円もらってもまだ足りぬという都会の生活から、緑に囲まれ、のびのびと、空気の美味しい田舎で、気楽に生活するというくらいは、ちょっとした思い込みを外すだけでやれるし、現にやっています。
 ここ数年、そんな暮らしをやってきて、日本全体のあくせくしているのを見ていると、これは、私のような生活をみんなにすすめ、又それに向かって若い人達も働くようにすれば、世のなかもずいぶん住みやすくなるし、今不安の種になっている核戦争、資源の欠乏、環境汚染、公害その他諸々の問題も案外解きやすくなるのじゃないかと気がつきました。
 
 私の現在の《お金の要らぬ生活》と、地球上の大問題をつなぐ筋道は、大略を云うと次の通りです。
 まず、退職金や貯金、それに都会での財産処分で1000万円以上のお金を握れる中高年層の人々が田舎に引き上げ、その預金利子月五万円の範囲で、お金のかからぬ文化生活に入る。多分定年退職者や窓際族などが最初に始められる人たちでしょう。
 こうすれば、都会の企業の人件費負担は大幅に減り、従って、その利潤追求に歯止めがかかり、無理して海外にまで売りまくって他国の恨みを買うことも減り、こうして国際摩擦も大幅に減って核戦争の危機も遠のきます。企業が拡大を止め、縮小均衡に転ずることと、働く人々の生活設計の見通しがたち生活態度がしっかりしてくれば、現在横行しているような無目的で不自然なぜいたく、有害無益な職業も減り、優雅だが簡素な生活が一般化してきます。
 一方、都会の文化性を身につけた元気な中高年が地方に分散すれば、現在の都会一辺倒の風潮も変わり、これらの人々の持ち込む資産・知性で、各地方が地震と活性化を取り戻し始め、これらの人々の余裕ある生活態度から生まれるボランティア活動もあいまって、自給自足を主とした各地方の真の自治、政治経済も可能となってくるようなきがします。
 こうして、日本全体が他国の金や資源に出来るだけ頼らぬ自給自足を基にした安定した政治経済が生まれ始めます。この実例を他国にも示し、勧め、各国の自給自足を主とした安定経済を普及させ、こうした平和で安定した国際関係の中から、人種国境を越えた理想郷ができるのではと思います。

 月五万円の生活費・私の実践報告

 個人の消費には、下記のふたつがあると考えています。
1.個人生活を心豊かに支える生活費
2.生きがいを探るのに使う活動費

 老人年金、生活保護の下限が5万円近辺にあり、月五万を生活費の一応の目安とし、あとは活動費に当てることを目標に6年前から実践してみました。昨年5月から12月の8ヶ月の平均月支出とその分析をご披露し、皆様のご批判、ご意見を仰ぎたいと考えております。
 なお、この報告(別表)に蛇足を加えると私はぜいたくとラク万歳の世相には眉をひそめており、スポーツ、グルメ、レジャーの大半はなくもがな、緑あふれた自然に親しみ、テレビや本で世界の現状を知り、観劇、コンサート、展覧会に行く代わりに、これまたテレビや図書館で借りる本の丁寧な紹介で満足しています。喫茶店やレストランも、興味はわかないし、たいしてオイシイとは思えません。
 映画は一年おくれのテレビで十分だし、新聞などここ40年ほとんど読んでませんが、対話して時流に遅れているとは思えません。
 冠婚葬祭には、体は動かしますが、金品は一切出さず、文句を言う人には、主義を書いた一片の紙片(左表)を渡して、了解していただき、この因習の多い田舎で村八分にはなっていません。
 医療については、金儲け主体で体全体を診る能力を失った当今の医者はあまり信用せず、胆石(1ヶ月)、日本脳炎(3週間)、脳内出血(1週間)の入院を除いて、肋骨3本折り、外傷、腹痛数知れずですが、我が家のベッドで、痛みは回復への信号と覚悟して自然治癒で済ませてきました。残念なのは、この私の考えの方向で話し合える知人が周囲に見当たらないこと。そして、簡素生活には反対でないと言っていた妻が、世間付き合いに孤立しがちな私を見限って、2年前、別れていったことです。
 それ以来、人に信念を伝えることに自信をなくし、目下、テレビ、図書館付きの良寛の心境で、恐る恐る生きている次第です。 勿論、人それぞれで、何も私の生き方がいちばん良いなど、主張する気はありません。が、消費拡大が幸せへの道という、当今の在り方はどこか間違っており、月30万でもまだ足りないと考える日本人一般の方々に、月5万でも優雅に生きる途があるということを知ってもらうこと、そして、外国にあまり進出したり、搾取したりしないでも、幸せな生活を守る途があるのではないかと考え直すことも大切なのではないでしょうか。
 歴史上の賢人、お釈迦様、キリスト、トルストイ、ソロー、ガンジーなど、すべて簡素生活の方向で人に説いていたようだし、地球現在の人口爆発、南北格差、地球汚染、資源枯渇などに思いをいたしても、この経済縮小、消費縮小の方向にしか、救いはないように見えます。
 経済縮小によるデフレの心配も、個人個人が心構えを変え、昔の貧乏のみじめさと違ったイミで、つましさと自己抑制の中にこそ、真の人間の心の豊かさが見いだせると思えば、建設的で明るい未来も作り出せる気がします。


【5万円の生活費】-平成元年の1ヶ月生活費内訳
1ヶ月の生活費内訳

【活動費内訳】
1ヶ月の活動費内訳

 思い込みの打破からすべてが始まる

 私は習慣と思い込みとを分けます。
 習慣とは、伝統的に多くの人々の知恵で成立した生活上の約束事であり、現在でも人間関係を保つのにあって良いし、特に害を及ぼさないもの、と定義しておきます。
 例をあげれば、一夫一婦制、人前で着物を着る、セックスや排便は人前ではやらない、早寝早起きは良いことだ、などです。一方、思い込みは、成立は習慣と同じですが、現在の人間関係にむしろ有害無益で冷静な目で見るとおかしいもの、まあ云えば野蛮人の中のタブーみたいなものです。
 私はカナダ・USAを主とし、他に欧州、中南米、オーストラリアなど、15年ばかり出稼ぎ旅行してきました。その前10年ほど、東京の中型生産会社でサラリーマンもやりましたので、日常の生活習慣という点で、あちらとこちらを較べ、地域に基づく生活習慣や思い込みがいかに大きく日々の生活を支配しているか、実感して帰ってきました。 
 
 特にこの日本は、歴史の古いこと、それに島国で単一民族であるという世界に稀な環境と歴史のため、この思い込みが大変多く、かつ強く人々の生活を支配し、反面この思い込みを単に外すだけのことで、どんなに多くの利得と自由が得られ、生活が一変するかは驚くほどです。
「周囲がどうあろうと、毅然として思い込みを廃し、惑うことなく我が道を行く」
 何だか恐ろしく英雄的に聞こえますが、とんでもない。一人こっそり考え、筋道を立てると、現に私のような気の弱い、力のない、世渡りの下手な俗物でもいとも簡単にやれるのです。

冠婚葬祭の折り
金品を一切出さぬことを説明した文章

御関係の皆様へ
今回お招きに預かり誠に有難うございます。さて、私共夫婦、冠婚葬祭に金品を授受することを省きたいと考え、実行して居ります。これは、皆様と誠心誠意お付合いしたいということに変りはなく、至らぬ私共の事ゆえ、今後も何かとお世話になることも多かろうと考えておりますし、又お役に立つ機会があれば喜んで出来る丈の努力はさせて頂く考えで居ります。
 ただ、現在の日本全体が、余りにぜいたくに走り過ぎ、世界の他の人々のひんしゅくをかっていることが気になるのです。又世界の5億の人々が飢えに苦しみ、地球の資源が、あと二十~三十年でかなり不足してくること、核戦争の危機が迫りつつあることにも関係があります。
 それで、自ら信ずる所を自ら実行してみることが第一と考え、多少の摩擦は覚悟の上で、このようなやり方をして居ります。至らぬ私共の事ゆえ、何か大事な所で考え落ちをしているかも知れません。そうお思いの方は遠慮なく御注意叱責を給わりたく、お願い申し上げます。
 なお私共の考え方、生き方は拙文「お金のいらぬ生活をしよう」に多少詳しく述べておきました。 宜しければ差上げますので御一読の上、至らぬ点の御注意を重ねてお願い申し上げます。有難うございました。

沖 祐之

 

 都会脱出の準備

 次に1000万円の現金の話ですが、これからの生活の基盤となるもの。これを都会で働いている間に、急速にためるにはどうするかという問題です。
 都会の中高年のサラリーマンは、退職金・貯金・不動産などの処分で、すでにこれくらいは確保出来ていると思うし、まして定年退職者や定年間近の窓際族などは即実行あるのみです。
 ここでは、それ以外の、これからためようという方々のために、そのコツを考えてみようという訳です。これには、第一にためることの意義を十分把握した上で、強制的に預金していくのが一番でしょう。
 その意義ですが、これは少々目を広げ、ニューヨークなどの大都会で起こっている世紀末的様相とか、一旦食糧難が起こると、今の都会では、終戦直後よりはるかに深刻悲惨な事態が起こることなどに思いを致し、NHKの「二十一世紀の警告」シリーズなどをじっくり見て、都会生活のはかなさ・不安定さを実感することに始まります。
 また万一出世して重役・社長になったところで、所詮一介のサラリーマンに過ぎず、個人的な気楽さや涼やかな志からは程遠い。また必要以上に資産を持つことは、「おしん」の最終部を見ても分かる通り、子供の教育に不向きだし、家族の団らんにも悪い結果しか生じません。
 こうして、都会を抜け出すことの意義に納得でき覚悟がついたら、次には夫婦同意見になることが是非必要です。何年で脱出できるかは、どれだけ思い込みを排除したか、また工夫次第です。
 例えば、今アメリカの銀行利子は日本よりも高く、一千万なくとも、月五万の不労所得となる。アメリカの銀行に預金するのは、ロス、ホノルル辺りには日系銀行が殆ど進出しており、現地に友人でもおれば、これに頼む手もある。今は昔と違い送金はまったく自由ですから、その点何の心配もありません。(※平成元年の時点)
 次に住ですが、どっちみち十年くらいで帰る予定なら、アパートで充分でしょう。それも夫婦と子供二人で、六坪すなわち十二畳もあれば充分。子供に個室などもっての外。二段ベッドで充分。
次に子供の教育。高校以上は親元を離し、子供自身が自活のために働き、自分で必要と思ったら、自力で大学へ行くことは、良識ある欧米の家庭では貧富に拘わらず一般的だし、三十年前までは、この仕事の見つけにくかった日本でも、「次郎物語」「青春の門」などに見るごとく、当たり前のことでした。
 中学生以下の子供は完全に親の管轄下で、金を持たせぬことの必要は「積木くずし」に見る通り。粗食に耐え、我慢を覚えさせることが、外の何にもまして子供への愛に見えます。
 栄養のバランスなど信じない方が身のため。今の子供は食べ過ぎでもっとも毒されている。将来の地方進出に備え、何よりも自然に親しむよう心がけるのが親の愛情ではないでしょうか。
 レジャー、スポーツにお金をかけず、日ごろかかぬ汗をかき、努力と工夫で簡素に楽しむことも、これまた欧米レジャーの主流でして、ピクニック、サイクリング、ユースホステル、コーディネイティング、それに自力で家を建てたり、日曜大工をやったり、考えれば、金をかけずに楽しむことは一杯あるものです。大工道具に親しむことは、将来100万円で家を建てるのにオヤクニタチマス。
 医者で薬づけ検査づけにあってお金をかけるのも、ちょっとその気になって直せば、かなり避けられます。ちょっとした腹痛など梅干しで治るし、風邪は一杯ひっかけて寝るのが一番。
 今の医療科学など、外科やワクチンの一部を除いて、あまり健康保全に役に立っていないようで、お金儲けを主として考える人たちに自分の体を預けるなど、私は努めて避けたい心境です。
 日本で一番特異なお金の使い方は、見栄と儀礼です。私は冠婚葬祭には、自分の見解をかいつまんで書いた紙片を用意し、金品に代用することにしています。私は目下無宗教でして、親の葬儀に坊主も呼ばずお墓も不必要という主義で、これで結構周囲と摩擦なしでやってきました。
 このように、自分の主義をしっかり立てて、生活に実行していくこと自体、一番大切な子供への教育になるのではないでしょうか。こんな風に生活していけば、土光さんの言う通り、一世帯月10万円の生活も夢ではありません。外食が極めて無駄な出費であることも考えておくべきだし、来客はお話しに来るので御馳走を食べに来るのではないことも、そろそろ欧米を見習って、よく考えてみるべきでしょう。最初はシンドイと思えることも、長くて十年の辛抱と思えば続きます、きっと。
 
 田舎の見つけ方

 自分の故郷に受け入れ体制のある人々は問題ないが、それのない人もいるでしょう。場所選びは大事なことで、又、夢もふくらむ楽しいものでもあります。日ごろ心がけて探し、何度も現地を見て廻り、土地勘を養うことが大切です。所によっては、村や町が過疎対策として、入居者に肩入れしている所もあり、雑誌に出ていることもあるし、こういった入居用地の情報紙も出始めていると聞いています。

 定住の仕方

 かくして念願の地方進出です。
 私の場合、遠い親戚を頼り、親の出身地に狙いをつけ、二、三度訪れて見て廻った末、車に家財道具一式を積んで押しかけ女房式に一週間厄介になり、近くの廃屋を3万かけて改造、定住地を見つけるまでそこで頑張りました。
 現地で仮住居することは大変重要で、できたら一年くらいかけて現地の四季のたたずまいや、人の話の裏表がある程度分かるようになるまで頑張ることです。こうすれば、自分の納得の上で、手頃な安い土地も見つかるものです。私の場合、大体坪1万円の相場と聞いていましたが、会う人ごとに粘りに粘って、きわめて便利な理想的な場所が坪あたり1600円で見つかりました。
6坪住宅見取り図
       <6坪住宅のイメージ>

 田舎はたいてい廃屋がありますから、私のようにやることをおすすめしたいところ。こうして余裕をもって土地探しをやることは大切なことで、これは後々入ってくる人々にも影響する問題です。
 私は土地は買いましたが、借りて住むことが出来ればお金もかからずそれに越したことはない。どうせ夫婦がヨイヨイになって老人ホームへ入るまで、せいぜい20年くらい居るだけですから。子供に資産を残すなど、考えない方が子供のためです。転居は一度自分でやってみると気軽にやれるようになり、借地で気にすることは一つもありません。
 次に、ここ都会に慣れた人々に抵抗のない文化住宅を建てることがあります。借家や既成住宅の買い入れ、又、廃屋の移築などでも、それで満足して住める人達は、その方が安いし、簡単です。
 でも、都会人は、水洗便所も欲しいし、田舎に多い蚊や蠅など虫を寄せつけぬ機密性がないと嫌がる人も多いのではないかと思います。
 そこで実験的に、夫婦子供2人で充分文化生活が楽しめる簡単安価な家を、自ら設計し、手作りで建ててみました。建築費は自分で作れば100万円、人に頼むと多分利口にやって、150万くらいでしょう。これは、6坪の居住区に4坪の納屋で、棚をフルに活用して家具をほとんど省き、アメリカ式の二×四工法で新建材を活用、和式の複雑な柱の組み方がないので、素人でも時間をかけると自分の手で充分建ちます。断っておきますが私は建築はズブの素人で、アメリカの大工の教科書を1冊、3ヶ月かけて勉強しただけです。
プライバシーのある個室2つ、水洗トイレ、様式風呂、ステンレスの流し、ひねるとすぐお湯の出る設備、洗濯機、冷蔵庫、食料棚のスペースも充分とれ、2、3人の泊まれる余裕まであります。夫婦2人の書斎も、ベッドルーム兼用でチャンと取ってあります。冷暖房機能も、今までの和風住宅より優秀です。かくて、廃屋での滞在期間を含め、約200万円で定住が完成した訳で、これは一番高い方。状況によっては、これよりもっと安いはずです。

 農的生活について

 一世帯4人が食糧を自給するには、10アール(一反)あればよいと「ワラ一本の革命」に書いてあります。
私は、友達でもゆくゆくは呼ぼうと、25アール買い入れましたが、目下のところはその一部を耕しているだけで、それで充分ということになります。
 この農に携わることは、都会人にもっとも苦手のようで、それをしなくても月5万で充分生活出来ますから、是非やらなくてはならないと考えなくても良いでしょう。
 しかし、緑に囲まれ、毎日特にやることもなく、周囲のお百姓さんが手際よく作っているのを見ていると、おずおずながら手を出してみたくなるのも人情でしょう。特に日本は豊かな土、水、太陽に恵まれ、世界にまれなほど植物の育ちやすいところだろうで、確かに私が見て廻った各国の土地土地からの実感でもその通りに思えます。 
 我々のごとく、雑草も取らず、肥料も農薬も入れず、耕さず、単に種を蒔くだけで、後はほっておいても、結構育って、それを食べられるとなると、少しは手を入れてみるか、という気になるから不思議です。お百姓さんと違い、売り物を作る訳でもなく、うまくいけば儲けものという感じでやるのですから、気楽なもの。庭仕事の延長と思って下さい。
 愛媛の福岡正信氏は、知る人ぞ知る、「ワラ一本の革命」の著者で、雑草も取らず、耕さず、農薬も金肥も入れず、出来るだけ人出をかけぬ自然農法の実践で三十年、愛媛一の反収の米を採り、ミカンも栽培、野菜畠もほっとけ農法の見本です。こういうやり方なら、我々都会人も手がつけられると思いませんか?
 色々な野菜、米、麦、それにいも類など、いついかに蒔き、いかに育てるかは、たかだか5アールでも、やる気になれば、毎日結構考え、努力することも多く、楽しく、忙しく、日も暮れていき、都会で仕事を離れるとやることがないと嘆く人達に、是非味わってもらいたいものです。

 ボランティアへ

 こうして、農を主とした悠々自適の生活も2、3年たち、最初どこから手をつけてよいか分からなかった農の手順も軌道に乗ると、時間も精力も有り余って、心身共に余裕が出てきます。そして、ボランティアへの体制が整った訳です。
私の考えでは、お金儲けの動機が絶対入ってほしくない職種──行政官、医師、教師、弁護士などは、上記のような、生活基盤が他で充分安定し、また心身が健全な人達に、是非やってもらいたいものです。こういう人達は、都会で充分社会経験も積み、視野も広く、都会脱出を敢行するほど思い込みから自由で、かつお金儲けは既に卒業している。
 これらの人々がそれぞれの地方の行政、教育、医療、経済、福祉などにボランティアとして進出し、その能力から当然主流となり始めれば、世の中になんと希望の持てることか。
 ここまで至れば、都会で5、10年の区切りで働く若者たちも、地方でボランティアとして次代に貢献している親達に、後年の自分の理想を見る思いがし、この親達に強い誇りと憧れを抱くようになることでしょう。かくして、若い人達が未知の魅力に引かれて都会に出ることも、さして目くじらをたてる必要もなくなり、地方が過疎化して活性がなくなる心配も取り除かれることになります。


 都会の変革

 今まで永久就職制で40年抱えこんだ労働人口も、50年で新陳代謝することになれば、賃金を払うための職場を増やすー即ち拡大再生産の必要が大幅に減り、不必要な職場・職種はどんどんなくなって、仕事中心の、風通しの良い、健全な職場が増えていきます。
 私は工業文明を一概に否定する気はありません。電化製品も車も、今ほどでなくてもある程度は必要でしょうし、電話・テレビ・ビデオ・パソコン・ファクシミリなど有効適切に使えば、あった方が良い。  でも、今ほどぜいたくにある必要はないと思います。
 例えば、農機具を各家で一式揃えたり、新型が出るとまだ結構使えるのに買い替えたり、ちょっと我慢してまた工夫すれば一台で良いテレビや車が一家に何台もあったり、不必要なお金のかけ方が目につくのです。これは一方でせっぱつまった企業の利潤追求と、買う方の理性の不足のためと思われます。利潤追求の方は、中高年が企業から消えれば、大分減るでしょうし、買う方の理性は、都会脱出の目的意識と、これにともなう思い込みの脱却と、又これを地方へ分散して伝えていくことで大幅に改善されるでしょう。
 たいていの企業の社長ともなれば、功なり名をとげて個人資産も充分で、かえって理想主義に近いことは、土光さんや松下さんを見てもうなずける。だから、賃金のための利潤追求という圧力を減らしてあげれば、過当競争を防ぎ、合理的な合併も進み、企業の乱立、拡大再生産の弊害の改善に手がつけられるはずです。それには勿論今あるような小児病的な労組でなく、上記の5.、10年を区切って働く健全なサラリーマンを主体とした、良識と視野度量の広い労組になって、資本家との話し合いの下に協力しあっていくことも必要でしょう。

 田舎の変革

 田舎といっても、都会追従の結果、たいていの田舎は小型の都会の様相を呈しています。
私は俗物で、パチンコ、マージャンも大好き、喫茶店もチョイチョイ利用する口ですので、少しは残しておいてもらいたいけれど、今みたいにメッタヤタラと多い必要はないでしょう。これらの町の商店を経営する人達も、生活拡大の思い込みに踊らされている犠牲者といえましょう。都会脱出のボランティア達はこれらの人々にも覚醒の契機を与え、生活権だなどと叫んで抵抗する人々も大いに減ることでしょう。 思い出しましたが、今のこの中村市(※現:四万十市)と同じ人口3万くらいのアメリカ、オレゴン州の田舎では、行政府は10坪くらいの土地に2階建て、これに市政官2名、警察官2名、消防車1台が同居し、医者は2、三軒、食堂兼喫茶兼居酒屋が4、5軒、それにデカいスーパーが1軒でした。それに比べ中村市はなんとまあ、お店の多いことか! 

 これもすべて、お金の要らぬ生活をみんなが目指さぬところにあると考えるのは我田引水でしょうか。ここに、都会で充分視野を広げ、近代社会の経験を積んだ、説得力のある中高年が、ボランティアとして地方の行政・経済に取り組む意義があると見ます。地方での非生産人員の整理は、現地の農林漁業にまだまだ吸収能力があると思えます。
 ボランティアの中には企業家・科学者・技術者も含まれるでしょうから、シューマッハの「人間復興の経済」に説くような、地方経済の必要に根差した小型の開発──将来の地下資源の欠乏を見越し、太陽エネルギーや生物循環を利用した小型の風水力発電、生ゴミ利用の気体燃料の開発、木材を使った各種農機具の再開発、私のやったような安くて合理的な家屋のキット販売、帆船の見直しなど、やることは一杯あります。江戸時代を振り返っても分かる通り、地方という所はもともと他に依存せず自給自足がやれるのです。これに上記の現代科学・技術を取り入れて、活性化する訳です。 
 
 地方行政がボランティアを主体として、自主性と活性を取り戻せば、今までのように中央の交付金をアテにする乞食根性も減り、不必要なムダな投融資も改善され、観光や企業誘致に頼るなどというこれ又乞食根性も減って、地域に是非必要な上記のごとき各種技術の育成、企業化に目がいくことになるでしょう。こういった観点から現状を見れば、道路も、農地整備も、公共建物も、もう充分過ぎるほどで、あとは今あるものを維持活用することにチエを働かせれば、当分、行政でお金のかかるようなことはないように思われます。

 自給自足の意義

 私は、国として、地方として、又個人として自給自足を強調しましたが、これは鎖国せよというのではありません。いくらそうしようとしても、マスコミや通信の発達した現在、不可能というものです。私はむしろ一人一人が世界人になってもらいたいと思っているくらいです。
 では、何で自給自足を強調するかですが、他と健全に協調していくには、できるだけ自らのことは自ら始末し、他に過剰に期待したり、寄りかかったりしない姿勢が、根本的に必要だと思うからです。このことは立派な人柄と目される人物を見れば分かる通りです。乞食根性もいけません。泥棒も駄目です。その意味で、現在よく行われている貧しい国を救おうという運動にも、私は少々首を傾けています。 勿論飢え死にかかっている人々に緊急に食糧を送るのは必要でしょう。でもこれには細心の注意が必要で、国やそこの人々の生活全体は、やはりその国の人々が自らを支える工夫努力が第一に必要なことで、乞食根性を養成してはいけません。自主なくして健全な国際関係は育たないのです。シューマッハもインドを例にして、繰り返しこの点を強調しています。一生懸命苦学している若者が、疲労の末倒れ、それを救った金持ちが、かわいそうだとおいしい食物とぜいたくな環境を与え、それで若者の志をつぶしてしまった、ということもよくある例なのです。


 世界連邦について

 世界連邦ができただけで、すべての人種・民族のあつれきがなくなるとは、アメリカの黒人問題を見ても分かる通り、思ってはいませんが、少なくとも、今のように、各国が自分の国の利益だけを主張するよりははるかにマシです。現代に坂本龍馬が生きていたら、多分将来の世界連邦を目指して提案するのじゃないかと思います。
  経済大国日本が、民族主義の非を捨て、郷土愛のみ残して世界連邦を目指すことは、各国の民族主義者の思い込みに衝撃を与え、その非に気づかせる大きなキッカケになることでしょう。かくてカナダがUSAと合邦し、ついで中南米と、次々輪が広がって、ゆくゆくは地球合衆国となってゆく。
 明治維新の薩長には、日本統一を目指して、これを行う視野の広さと度量がありました。現代の日本や各国に、その良識と度量がないとは思いたくない。
 核戦争の恐怖、地下資源の欠乏、世界的な環境の破壊・汚染などを見ると、維新前の日本以上に、統一した良識ある府の必要性を痛感します。
 それへの第一歩を日本がやれたら、こんなすばらしいことはないと思うのだけれど……。
 更に、それまでに日本で確立されるであろう自給を元にした優れた行政経済の在り方は、各国各州の範となり、人類再生にこれまた大きく貢献し、後世の人々から感謝されることでしょう。
 こうして、未来の地球の安全を確保し、人々が数々の思い込みから脱却していくことの中から、和田重正先生の示唆される第二の人類(ネオホモサピエンス)大自然のいのちの流れを体得した人たちが生まれて、さらに地球をより住み易く豊かなものに導いていってくれることでしょう。

終わり

【私の考えを裏打ちしてくれる本の紹介】


『アクエリアン革命』 マリリン・ファーガソン 松尾弐之訳実業之日本社
 まず、訳がとても読み易い。ファーガソンさんは、脳の生理から東洋の「悟り」に注目。この悟りが人間を変革し、その流れが、近代工業文明の行きづまりを打開する唯一つの道と見る。その動きが目下アメリカを大きく変える動きになりつつあるとし、教育、産業、経済、医学、農業、政治と分けて、各分野での具体的な活動を紹介する。 
 この変革は、透明な知性による静かな非暴力の変革であるとし、実際には、各分野の活動の中心をなす人々の静かな対話と瞑想から、自然同方向への協調が起こり、無理なく、しかし急激に社会を変えていくと期待している。日本にこの本に拠るアクエリアン人の会がある。

『エントロピーの法則』 ジェレミー・リフキン 竹内均訳 祥伝社
 題と違って、読み易い文明批評である。工業経済の行き詰まりを打開するのは、限られた地球資源を再生産の効く範囲にとどめることが唯一の道と説く。経済最優先で、しかも拡大再生産しかないという考え方が、天皇陛下万歳と同じく、一つの思い込みに過ぎないことを、産業革命時の思想の流れに戻って、分かり易く説いていく。

『もう一つの人間観』 和田重正 地湧社
 人間が最も人間らしくあるための基本であるいわゆる「悟り」、即ち大自然のいのちの流れを体得するのに、どういう考え方から迫っていけるかを、分かり易く、透徹した論理で説く。悟りは理屈ではないが、それへの方向を見いだすには、この本はとても役に立つと思う。 
 先生は宗教に拠ってはいない。宗教によって悟りを拓く恵まれた精神貴族に対し、理屈から抜けられぬ我の強い精神の庶民も悟りに至る道があると、自ら宗教に拠らずして悟りに到達した体験から、謙虚に説明される。

『ワラ一本の革命』福岡正信 柏樹社
 人間の知識、技術のはかない限界を実感、無の哲学をたて、その実践として、大自然の流れにそって、除草・耕作・金肥・農薬を廃した自然農法を確立。その考え方は世界に知られ、同調者も多い。

『人間復興の経済』 シューマッハ 佑学社
 残念ながら訳が悪く読みにくいが、極めて大事な経済の方向を指示している。 インド戦後の復興に携わった経済行政家の著者が、近代産業の拡大再生産の方向がいかに人間生活を荒廃に導くかに気づき、この原理、スモール・イズ・ビューティフル(小さいのは良いことだ)を説く。それは、産業が大きくなるほど、安全性その他で資源の無駄遣いをし、人間のコントロールが効かなくなり、そこに働く人々まで人間性を損ない、ひいては社会を荒廃に導くとする。一方、地方の必要に基づく小規模な産業経済は、自給自足を主とし、人間味にあふれ、また他地方までひっかき廻す必然性がなくなると説く。資本論の説く資本主義体制の末期を、人間性に根差した工業技術の活用で改善しようとする。

『エネルギー(未来への透視図)』 槌田敦日本書房
 エントロピーの法則同様、地球資源の有限、その限度ある活用を原子力発電のムリ・無駄・不必要を中心に説き、お金を使わぬ簡素な生活に変わらぬ限り、解決はないとする。この本の主旨は「高知みどりの党」の党是に採用されている。

『ガンジー自叙伝』 中央公論社
 自ら悟りの境地に立ち、かつその考えを現実世界に展開する実行力、人間味あふれる率直な回想は、我々平凡な一般人にも、志を持って生きることの大切さと、人間らしく生きることのすばらしさを訴える。歴史上数少ない非暴力政治家としての現代最も貴重な証を見る。

『豆腐屋の四季』 松下龍一 講談社文庫
 貧しさと病身のため、高校中退、貧しさに負け、人間の弱さを出す弟妹に囲まれつつ、人間としての志操の高さを保ち、一方社会のぜいたくとラク志向に冷静な批判力を持ち、その志を貫いていく人間味あふれる強靱な生活態度は、一億金色夜叉と化した我々日本人に、つつましいが鋭い警告を与える。ぜいたくで貴族趣味の芸術にはかなり強い批判を持つ私には、本当の芸術とは何かを示す、数少ない例証として貴重である。

『カントリーライフのすすめ』 藤門弘・宇土巻子 現代評論社
 インド、中央アジアの人々の生活に強いカルチャーショックを受けた著者達が、飛騨高山で大工修業をし、大工を主とするかたわら、自給自足農業を行う自らの生き方を説く。これは説得力がある。 自分で家を建てるための情報説明、食料生産とその保存の具体的な説明は貴重。 建築技術の説明が、素人に最も手のつけやすいアメリカの二×四工法が主とならず、伝統的な和式の、複雑かつ不合理なものが主となっているのは惜しい。また、住宅建築のぜいたく指向に対する問題意識もないみたい。 私は彼らの作る家具が、都会人のぜいたく志向に迎合している点、生活手段としてやむを得ないとはいえ反対だが、他の上記の点は賛成。一読に値する。

『生きているとはどういうことか』 カドモア 東京科学同人
 現代は宗教によらずとも、科学の到達した知恵─宇宙の広大さ、生物のいのちの神秘的営み、原子の奥の幽遠さなどから、人間の限界を知り、宗教的感動に至る時代である。この本は、生物、特にアメーバの生態の観察から、人間の文化活動、特に芸術が、アメーバの造形にくらべていかにチャチなものかを指摘して、人間の文化活動のハカナサを浮き彫りにし、人間の生きるイミを問い直す。


『コスモス』 カール・セーガン 朝日文庫
 現代の科学が到達している人間のチエの現状を極めて分かり易く教えてくれる。チエの獲得に絶望している人々に、広い視野で、宇宙から生物までの貴重な科学のチエを、ふたたび総合的に学ぼうとする意欲をかくたててくれる優れた道しるべの本である。


<沖 祐之略歴>
 昭和7年京都府宮津市生まれ。2才の時、小児麻痺にかかり、左足が不自由になる。
 大学卒業後、株式会社リコーに入社。ここで10年間、主としてカメラ設計に携わる。
 昭和42年、カナダ技術移民に応募。カナダ、トロントでのカメラ修理を皮切りに、米国ニュージャージー州クリフトンでカメラ設計、ニューヨークで日本レストラン経営など、米国、カナダなどの各都市でカメラの設計修理、レストラン経営などに当たる。この間、欧州、中南米へも旅行。海外滞在は、約15年近くに及ぶ。昭和57年、都会の堕落に嫌気がさし、武者小路実篤の「新しき村」を目指して帰国。しかし、新しき村の現状に失望、そののち、本稿でもその著書が紹介されている和田重正を知り、その思想、生き方に傾倒。脱都会、お金のかからぬ簡素生活の実践のため、高知県中村市に100万円で手作りの家を建て、生活の拠点を築き今日に至る。享年65才。

■『簡素生活の実験』
■著 者 沖 祐 之
■発行日 1990年5月15日
■電子化 2007年2月23日


※高知県四万十市公式HP
 http://www.city.shimanto.lg.jp/topj.html
※四万十市観光情報
 http://www.city.shimanto.lg.jp/kanko/index.html


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