亭々録の天.インタープレスジャパン

◆亭々録の「天」

更新:2010.7.21

【天】とは“形而上的で超越的なもの”についての小論

理想の宗教とは?
  1. 理想の宗教(1)
  2. 理想の宗教(2)
  3. 偽物の宗教(引っかかってはダメです!)
  4. 一神教と多神教(文明と戦争をもたらした一神教という思考)
神の存在(神はいるのか?)
  1. はたして神は存在しているのか?(1)
  2. 闇の彼方から(異端が真理を述べている)
形而上的思考
  1. 永遠が見えるところ(1)
  2. 私たちのいる場所は?
  3. 私たちの意識とは?
  4. 物にも意識があるのでは?
  5. 生命は性を持つことで、不死ではなくなった!
  6. ある“リキシャ(車引き)”の一言
私の遭遇した不思議な体験→詳しくは「超常現象」へ
  1. 鎌倉という場所(鎌倉は、霊跡(れいせき)都市だ)
  2. 鎌倉という場所(風水と結界)
  3. 霊の存在とは?(見えてしまうんです).....
  4. 子どもの時に.....
  5. 中高生の時に.....
  6. 大人になって
  7. ヒーリング−霊的治療−
  8. 霊猫とは?(猫は霊障を吸い取る)
  9. オーラビジョン(オーラとは?)
  10. サイコメトリー
  11. 次元を超えて(異形の者たち)
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【理想の宗教とは?】

 1.理想の宗教(1).....06/11/17
 信仰は、組織(教会や宗派)に所属するところからくる安心感と、絶対と信じている“神”からくる法悦感を信じる者たちに与えてくれる。
しかし、創始者が伝えようとしたある<メッセージ>と集まって組織化した教団や宗派は、往々にして別物になってしまう場合が多い。それゆえ真理や愛を説きながら、もう一方で宗派間で血を血で洗う権力闘争が始まる。

 キリスト教会を例にとるならば、キリストが人々に伝えようとした“愛”を真に継承していれば、過去に世界各地で行われた教会主導の残虐行為の数々は起こりえなかった。また、祭儀に参加し、神を信仰したからといって人間性が向上するとは限りらない。悪徳聖職者や極悪信者も普通の社会と同じ割合でいる。むしろ信徒自身が、信仰により全てを「神の御業」でかたづけてしまい、向上心や自らの考える力を喪失してしまう場合もある。
バチカンの聖堂 人間を神の代理人に仕立て上げたり、猊下(げいか)として褒め称えたり、多くの借財を集めて巨大な建造物を造ってその権威を高めたり、教団は忙しい。権力の後ろ盾で偉そうにしている高僧たちや高位聖職者たち。「我が宗派の教えはすべて正しい!」
この「教え」が壁になって他者の声を聞けず、自然界の小さな営みさえ見ることができない信仰。

 唯一絶対を唱える「一神教」より「万物に霊が宿る」とするアニミズム信仰の方が、人間界と自然界に被害を及ぼさない。戦争や自然破壊など現代文明の暗い側面は、よく考えるとこの「一神教」という思考方法が元凶となっている。人類の不幸な歴史を振り返るとその影にはいつも「一神教」がつきまとっている。

****** もう一つの地上の教会(カテドラル)******
『雲流るる天空は大伽藍、そびえ立つ山々は祭壇。地球という大教会。
生命に満ちあふれる大地を足下にして、入口も出口もいたる所にあり。
天空には7つの惑星天使たち、太陽なる生命神は、身近に月の聖母を携えて今日も地球に命を吹き込む。緑の木々の椅子に腰掛けて、説教は自然界にひそむ“小さき精霊たち”のお話。この小さな小さな声に耳を傾けてみたい』

インタープレス・ジャパン


Main Point


天
地
人

注)リンクされていない項目は、制作中です。

書いてある文章も徐々に内容が充実していきます。時々、見てやってください。

2.理想の宗教(2).....06/11/19
 人類に多大な影響を与えた宗教の創始者は、組織を持たなかった。小さな共同体の中で物質的には貧しく活動していた。彼らは組織を大きくさせることや、金品や名誉、社会的地位にはまったく関心がなかった。

創始者が発見した"啓示"を人々に伝えることを最優先にした。
その"啓示"は、その時代の人々の社会的常識をくつがえす内容が多い。それ故、形骸化した価値観をもった社会全体から、迫害を受ける場合がほとんどだ。
 創始者の死後、ある一定の年数が過ぎると主力メンバーによる編纂作業が開始され啓示が教典化される。後世の人々がつくった教典は、創始者の教えを正しく伝えていない場合が多い。教典と組織をつくった段階で、教団からは創始者の啓示と並列して存在したある種の力がなくなる。

そして“教典”をもとに異なった解釈をする権威者が生まれる。その結果、分派した宗教組織が多く出現する。その中で優位に立った者が他の分派した組織を弾圧する。こうして権力闘争が表面化する。その宗教が国教となっていた場合は、宗教間の権力闘争で国家間の戦争に発展する場合もある。勝ち残った組織が大きくなればなるほど比例して、組織内に何らかの悪魔的力が働く。また、宗教団体の責任者を神の代理者として崇拝する。自身の宗教組織に逆らう勢力や他の宗教を残虐な手段で粛清する。

 本来の宗教の力は、人をあらゆる束縛から、あらゆる軛(くびき)から自由にする方向を指し示すモノだと私は信じている。この考えは地上の権力構造から大きくかけ離れている。なぜならば宗教的啓示は“天”からのもの、つまり地上の価値観とまったくことなった所から由来するものだから。もし仮に“真なる教え”を説く者が現れたとしても、その創始者が「この真理は絶対だ!」とか「奇跡を起こす!」とか「永遠不滅だ!」とか言ったとした瞬間、その教えは偽物に豹変する。なぜならば、声高らかに啓示を宣う者も、所詮地上を這っている不完全きわまりない人間だから。そして、決して人間が「神自身」や「神の代理者」の真似事をしてはならない。

理想の宗教教典の解釈を巡って我こそ正統な継承者と称する者達がでてくる。


理想の宗教創始者、創唱者が伝えたかった“啓示”と後世に作られた“教典”とは、内容が異なる場合が多い。別物になっている場合もある。

理想の宗教宗教が権力を持つと、他の宗教を許さない。特に自らの教団と類似性が高い宗教ほどお互いに憎悪をいだく。
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3.偽物の宗教(引っかかってはダメです!)
 『詐欺師は上手い言葉で金品を盗むが、えせ宗教は、物も心もすべて奪い取る』...餌食になった善良な人々を偽教団は、彼らの人生や親族を含めた人間関係をすべて破壊する。そして洗脳された彼らは、まともな社会生活をいとめなくなり、元の平和な生活に戻れなくなる。核となる部分に“悪い力”が働いていれば、それを信じた者たちの末路は見えてくる。

★信じた者に害を与える宗教にはいくつかの特徴がある。
  1. 現存する教祖や継承者を“神”のように崇めている。人を神格化している。
  2. 教祖のご神託は絶対で誤りがない。教祖に間違いや誤りがない。
  3. 巧妙に金銭を要求する。教祖はお金と女が大好き。
  4. 度をこした親切さと親身になってくれる。サービス精神旺盛......入会するまでだが。
  5. さまざまな宗教上や人生の疑問点に対して明確に答える。聞く者が自分の頭で考える余裕をもたせない。
  6. 教団からけっして脱会させない。教団から抜け出ようとすると今まで優しかった信徒が豹変する。
洗脳されゾンビと化した者たちは、かわいそうな人々を救う宣教、宣布という名のもとに、さらなる犠牲者を捜し求めて街にくりだす。

日本の教育は、「自分の頭で考える」ことをあまり教えていない。以前より少しは良くなったといっても、教科には一方的な暗記ものが多い。また、試験では答えがはっきりと決まっている。教科の項目にいちいち疑問点を見つけたり、応用を考えたりしていてはよい点数が取れない。疑問点を見いださない、考えない...これは洗脳する側にとっては好都合だ。1+1=2などのように人生の疑問点や宗教的な問いかけをはっきり出す。その為、勉強ができ、日常的に考えない若者たちが洗脳されやすい

 迷いながらつまずきながら共に歩んでいく不完全な存在である人間は、神様ではないのだから、宗教的形而上的疑問点をはっきり断定して、真理は“これだ”など言ってはならない。精一杯言っても「真理はこの方向かもしれない?」「この時代の価値観では、これが正しいかもしれない」...。

神の代理者、神の化身とほざいている教祖など、奇跡を起こすマジックショーで人々をだますことはできても、自分自身の髪の毛1本すらつくることができない。
どうか若い人たちが、大切な人や人生を失う宗教ゾンビとならないように!

理想の宗教えせ宗教家は、人々の願望を見抜き甘い言葉で暗示をかける。また、マスコミやメディアでど派手な宣伝をする。

理想の宗教トリックや催眠術などで求道者が、期待している内容の奇跡を起こす。





宗教団体の最高指導者で尊敬を一心に集めている人物でも、忙しく動き回っておしゃべりをして飲み食いして排泄しているならば普通の人間だ。人間という生物カテゴリーにしっかりはまっている。

ただし、人間界と深い世界との橋渡しをする人物も少なからず存在する。そのような人物は、人間という枠からはずれている。

彼が何を感じ取っているのか知るよしもないが、深い瞑想状態を続けている。最低限の食べ物と排泄、医学の範疇にないほどわずかな呼吸数と1分間に数回の心臓の鼓動。時折、目覚めて私たちに言葉を残していく。
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4.一神教と多神教(文明と戦争をもたらした一神教という思考)
自然を駆逐して、社会が人間中心の都市型構造になったとき、一神教が成立する。絶対規範を持つことで社会全体が、効率よく機能する反面、思考停止させる一神教。
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【神の存在(神はいるのか?)

1.はたして神は存在しているのか?(1)
私たち人類の類としての神は確かに存在する。
このカテゴリーに様々な神仏を内包している。
生物は、否、無機物もそれぞれの類の集合意識を背後に持っている。
これら深化した集合意識を人間は神、神々と呼んでいる。
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2.闇の彼方から(異端が真理を述べている)
神の存在を探求する為には、もう一つの存在である闇の存在にふれなければならない。光と闇、善と悪、神と悪魔、相反する存在は、実は非常に類似している。闇の深さを認識することで、光の存在が明確になる。また、我こそが正統と主張し主権をとった者達が、おぞましい存在として駆逐した“異端、悪魔”たち。
彼らレッテルを貼られた者達が、果たして真に人間社会を害する悪魔的存在だったのだろうか?
私はむしろ権力の座についた者たちにより闇の彼方に葬られた者たちにこそ「真実の扉」が与えられていたのではないだろうか?

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【形而上的思考】

1.永遠が見えるところ(1)
 皆さんは、永遠を感じたことがありますか?

1.永遠が見える場所
<その条件>
  • 以前古代の文明が栄えた廃墟跡。
  • 古い文明が栄えた上に立てられた都市、または古代都市をそのま使用している場所。
  • 数億年以上経過した太古の地層が地上に出ているところ。例)オーストラリアのウルル(エアーズロック)
  • 地球上に点在する経絡のようなレイライン
  • 惑星、恒星の位置により発生するスポット。
  • 古代人や中世の為政者が、古代から伝わる技法で建造した構造物
  • 人間があまり訪れない場所。
  • ある種の鉱物が、地下浅いところに多量に埋没している場所。
  • 霊格の高い植物が、一定数生えているところ。
  • その他に、場所ではないが、太陽の光明が地上に降り注ぐ一瞬の時と午前2時〜3時頃に意識が下がった時に永遠を感じ取れる。


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2.私たちのいる場所は?
コペルニクス的転回。
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3.私たちの意識とは?
 私たちの意識は、実は正確に実体を認識しているのではなく、脳が作り上げた外界のイルージョン(幻想・幻影)を投影しているのではないのか?
私たちの意識は、脳が都合のよいように形成しているイメージを、外界の正しい姿だと認識しているのではないだろうか?もし、脳の制限を外して外界を認識したならば、本当の外の世界はどのような姿になっているのだろうか。

◆人の意識がとらえている世界はごく僅かです。外界は凄まじい量の情報にあふれています。その為、脳が己を守るために外部の流入量を制限しています。



【意識の見解を拡げるの本の紹介】

『神々の沈黙』−意識の誕生と神々の興亡−


『ユーザーイリュージョン』−意識という幻想−


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4.物にも意識があるのでは?
 進化しているのは人間だけではない。“道具”や“物”、“無機物”もひそかに進化しているのでは?と言う仮説はどうだろうか。とくに、私たちの身の回りにある様々な道具たち。道具たちは、人間を巧みに使いさらなる進化を果たそうともくろんでいる。ライアル・ワトソン著『シークレット・ライフ―物たちの秘められた生活』から

とても魅力的な仮説だ。日本人は本来、自然を崇拝してきた。アニミズム信仰から山や海、木々に魂があると信じていた。千年以上は生きていると思われる老大樹を目の前にすると、私たちは荘厳な気持ちになり、あたかもこの大樹が自分よりも大きな意識があるように感じ取る。

『シークレット・ライフ―物たちの秘められた生活』
ライアル・ワトソン著
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5.生命は性を持つことで、不死ではなくなった!
遙か昔に生命体は、雌雄に分裂せず単体生殖であった。自己の細胞を分裂させることで新たな生命体を作りだした。しかし、雌雄に分かれたとき“死”が生命体に入ってきた。
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6.ある“リキシャ(車引き)”の一言......07/2/21
 1984年正月...ひょんな事でインドのベナレスに3週間ほど滞在することになった。仏教とヒンドゥー教の有名な聖地ある場所だ。三島由紀夫の『第3部:暁の寺』や遠藤周作『深い河』などの作品にでてくる。この場所の特異な点は、ただの聖地ではなくヒンドゥー教徒にとってあの世に行く出発場、つまりガンジス川にある小さなガートターミナルの役割がある。ガンジス河(ガンガー)にもうけられた火葬場(ガート)で焼かれ、ガンジス河に遺体の灰を流せば転生輪廻から解き放たれて涅槃に導かれる、と信じている。ヒンドゥー教徒であれば人生終焉の時をこの地で迎えたいと思うだろう。

 バスやリキシャ、トライシクルの激しく行き交う駅前から離れてガンジス河の方へ向かうと、レンガづくりの大きな建物が並ぶ。これはヒンドゥー教徒の篤志家たちが、最後の時を迎える同宗派の人々の為に造った建物だ。インド中からたくさんの人々が、瀕死の病人をかかえて長い道のりを旅して、ベナレスにやって来てくる。インドの旅は過酷だ。乾燥しきった広大な大地、灼熱の太陽、いつもすし詰め状態の列車や交通機関、隙あらば荷物をかっさらっていこうとする泥棒...。貧しいインドの庶民にとって交通費だけでも大変な負担だろうに、つらい旅を終えて最終目的地のベナレスにたどり着いても滞在費や宿泊費がかかる。この負担を少しでも軽くするため、ここでは巡礼者のために雨露(あめつゆ)をしのげて、無料で食事も提供する施設が幾つかある。この建物の窓越しに今にも死にそうな骨と皮になった老人を、年配の男性がかいがいしく世話をしている様子が見える。息子だろうか?インドの男は親孝行だ。

 前置きが長くなったが、ベナレスで出会ったある老人から聞いた“ひとこと”がずーっと気になっていた。この老人は私がベナレス滞在中に“ガート通い”をしている時に出会ったリキシャ(車引き)のおじいさん?だ。インドの肉体労働者は、その過酷な環境と労働のせいか年齢よりもかなり老けて見える。もしかしたら50歳くらいだったかもしれないが、私の目には70歳以上に見えた。インドに行った方はご存じだと思うが、生存競争の激しいインドでは、強引な売り込みが多い。特に、外国人は、「鴨が葱を背負った状態」で恰好の餌食だ。断っても断っても後をついてくる。特にベナレスのタクシーやリキシャの客引きは強引だ。聖地という雰囲気ではない。ベナレス駅から一歩外に出ようものなら、目を皿のように見開いた客引き達がドッと押し寄せてくる。ベナレスは、とびっきりの神聖さと世俗が混在している。


町を普通に歩いていていても怪しげな人たちが声をかけてくる。そんな中、ガートに行くときに必ず通る道で、車引きのじいさんが声をかけてきた。「アハリヤーバーイ・ガートまで10ルピ−」私が断ると、なんだか気の弱そうに引っ込む。インド人にしては珍しい。必ず通る道なので毎日顔を合わせようになった。そのうちに車引きのおじいさんと言葉を交わすようになった。同じ場所にいつも一人でいるのでこのおじいさん、車引きの仕事あるのかな? ある日もっていた日本製のクッキーを一箱あげた。インドでは貴重品だ。おじいさんは少ししか食べず、家族に持って行くのだろうか大事そうにしまった。お礼にと路上で焼いているチャパティをごちそうになった。こうして会う度にだんだん話す時間が長くなっていった。お互いに片言の英語とヒンドゥー語の単語で日本の事とか、ベナレスの裏話とかを語りあった。私がインドの文化と哲学に興味があり、日本で勉強していると言ったら、自分のおじいさんから以前に聞いた話だがと語り始めた。

 「マサキ、ヒンズー教の古い教典でこんな言い伝えがある。『時間は重力から生まれる。重力は時間から生まれる。世界の創造は時間の存在から始まった。時間の存在は、重力から始まった』私の語学力では彼が言わんとしていることを、正確に受け止められたかどうかわからないが、英語とヒンドゥー語の混じった言葉の中からこのようなメッセージを聞くことができた。
他にもいろいろ話してくれたが忘れてしまった。なぜかこの言葉だけ頭に残っていた。半年後に帰国して上智大学の図書館でレポートを書いているとき、偶然にも資料の中でインドのおじいさんが教えてくれた同じ言葉を見つけた。内容は「重力量が違う場所では、時間の速度が異なる」というニュートン力学と一般相対性理論の記事だ。そう言えばこれはインドで聞いたあのおじいさんの言葉! 
 この「時間は重力から生まれる」この一言は、とてつもない大きな命題だ。もしこの内容が科学的に正しければ、この言葉をキーワードに様々な形而上的定義が成り立つ。インドでは車引きのおじいさんまでも宇宙論、形而上学的深遠な言葉を持っている。恐るべしインド。

.......................................................................................................................................

ベナレス:正式にはウッタル・プラデーシュ州にあるワーラーナシー(Varanasi)。約人口130万人でカンガー(ガンジス川)に沿いに位置する。仏ベナレスのガート教、ヒンドゥー教の聖地。ここで荼毘(だび)に付されると輪廻転生から脱却して涅槃に導かれると信じている。また釈迦が初めて説法を行ったサールナート(鹿野苑)がある。

インド滞在の手記は、後ほど亭々録の『地』に記載します。


▼おじいさんはいろんな事を他にも話した。
あぁ−メモか日記に書いておけばよかったと後悔しきり。メモの大事さが今頃わかる。


▼記憶の糸をたぐり寄せていくと少しは思い出した。
おじいさんが、話してくれた言葉の断片。
「光は闇からつくられた。闇をギューとつぶしていくと光がこぼれ出た」、「宇宙は最初何もなかった。何もなかったが、気の遠くなるある時が流れ、小さな小さい音が、生まれた。その聞き取れないほどの小さな音が、何もない(虚無)の空間に広がり共鳴して、振動して、やがては耳をつんざくような大きな音となった。やがてその音が、重さを持ち、時間が始まった」...。う〜ん、後は忘れてしまった。思い出したら書き足します。




重力に縛られて地に拘束されている私たちの肉体と意識。

▼もし仮に人間が宇宙空間の無重力状態で出産して、その子どもが成長したら地球上の私たちと全く異なった肉体、頭脳を持つのではないだろうか。特に頭脳のニュートロンは、重力の影響を受けることなく縦横に拡大し成長するならば、私たちの意識と全く異なった意識をこの無重力の子どもは持つことにならないだろうか?
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【私の遭遇した不思議な体験】 超常現象詳しくは“超常現象”をご覧下さい

1.鎌倉という場所−鎌倉は、霊跡(れいせき)都市だ−....05/12/1改訂
鎌倉は大まかに3つに分けられる。
三方山に囲まれて、海に開けている鎌倉、商業、都市でにぎわいのある大船、家が建ち並ぶ団地、住宅地域。鎌倉駅を中心に扇形にひろがっている地形で、神社仏閣は山に囲まれている地域に集中している。この旧市街は、とても狭い地域で1日あればゆったり廻れる。特によい時間帯は、朝10時までと夕方頃、深夜。昼間は、観光客が多くさわさわして落ち着きがない町になっている。

日中は全体的に白んだ感じになっているが、朝、早く散歩すると、神社、仏閣の境内は霊気に包まれている。何故、こんな狭い場所に幕府や寺院がおかれたか、理由がわかる。夜は、太陽が沈みかけた頃、神聖な気持ちになる。
深夜は、鎌倉が古い歴史都市であることがわかる時間帯。魑魅魍魎、諸霊が現れる。観光客の皆さんは、昼間は散策せず、1泊なさると良い。別の鎌倉が見える。
普通の鎌倉散策は、お寺や由緒巡り、小町通りの店めぐりに、食事、海を見てお終い。しかし、ほとんどの人が気付かないもう一つの魅力は、路地裏散策。鎌倉は小さく狭い道が迷路のように入り組んでいる。目的の寺へ行く場合も、人混みの大通りを通らず、路地を通ると観光地では味わえない別の雰囲気がある。

「私の遭遇した不思議な体験」は“超常現象”サイトのダイジェスト版で要点のみ書いてあります。詳しい内容は上記サイトへお越し下さい。






<鎌倉関連のリンク> 【鎌倉】
鎌倉の概要
鎌倉の地図

2.鎌倉という場所(風水と結界).....07/01/19
 鎌倉は武士(もののふ)が日本を治めていた場所で、たびたび血なまぐさい戦(いくさ)もあった場所だが、それ以上に多くの神社仏閣が建ち並ぶ文武両道の都市でもある。一般的見解ではないが、当時の高僧たちは、寺を建立(こんりゅう)する際に中国から学んだ最高学問(今で言うところの風水学)に従って、神社仏閣の決めたといわれている。その為、神社仏閣と3方向山に囲まれている鎌倉の地形が特殊な"場"をつくりだしている。市内に点在する幕府の諸施設や建立された寺院の配列は気になるところだ。また、宗派によっては、特定の場所に結界を張り巡らしたようだ。

昔の人々は、現代の機械文明に生きる私たちと違ってすべての能力が高かったとのでは思う。昔の武士は、現代人と比べてかなり小柄だったけど、いざ戦闘になれば今の剣道高段者などでも太刀打ちできないだろう。昔は食べ物も無汚染で無添加、その上ミネラルいっぱいの自然食品を食べていたのだから当然だろう。便利な機械に頼りっぱなしの現代人から比べれば、運動量も半端ではない。現代人のように水泳教室やジムアスレチックに通わなくても生活全体が運動だったのだろう。移動は馬か徒歩で、中には1日200キロ以上も続けて走れる猛者もいる。特に、頭脳は脳の思考回路に影響する電磁波も電波も飛んでいない時代なので直観は鋭かったのだろう。

そして戦の絶えなかった時代では、常に命の危険にさらされていた。僧侶(そうりょ)も神官も現代のような職業としての役割ではなく、宗教者として本来もっているパワーがあった。そんな彼らが数ある場所から選んでつくった鎌倉。普通の場所ではない。鎌倉を散策していると、一瞬にして気配が変わる場所がある。鎌倉はたくさんの谷戸(やと)があるので、体感的に大気の流れや日光の明暗が大きく変化するのがわかる。ただ、この気配はそれではないのだ。表現すると首筋やみぞおちあたりか釈迦堂の切り通しら"ネジレ"てくる感覚、すーと体の中を風が通る感覚、一瞬、身体が浮遊したような感覚とでも言おうか、そんな変化をもたらす場所が鎌倉にはいくつか存在する。"気配"に敏感な人は、鎌倉散策の時に少しばかり自分の感性を鋭くしてみるのも面白いかもしれない。ただし、関わってはいけない場所もあるので、さらっと流していくほうが安全かもしれない。


○谷戸や龍脈など自然界で風水的な効果がでている場所
●人為的に配列してある結界石や特定の建物の跡
○結界を結んであるところ


<場所探しのヒント>
1.外から鎌倉に入る場所。坂や切り通しなど。特に「七切り通し」
2.道の左右に隔ててクロスするように寺が建っている場所
3.旧幕府跡と八幡様を結ぶ線上と川の両岸のある地点(左右)
4.鬼門と裏鬼門線上に立つ寺院
5.刑場跡、古い碑、地蔵が立っている場所とその周辺

注)ここでいう霊跡(れいせき)都市鎌倉は、三方向山に囲まれて海に開けている旧市街地とその尾根づたい、円覚寺のある北鎌倉の一部だけである。大船や新興住宅地は含まれない。
◆鎌倉で“気”や“気配”が特に変わる場所。

結界による外敵の防御か自然の龍脈を利用した場所。


【切り通しと坂】
三方山に囲まれている「鎌倉」に出入りする為の重要な関所である切り通しと坂は、七箇所あり人々の往来、物品の流通ばかりではなく、外から敵が侵入してくる場所でもある。道祖神や地蔵尊が祭られている。俗に七口ともいった。
  • 朝比奈の切り通し
  • 名越(なごえ)の切り通し
  • 巨福呂坂(こぶくろざか)
  • 亀ヶ谷坂
  • 化粧坂(けわいざか)
  • 大仏の切り通し
  • 極楽寺の切り通し

【鎌倉の川】
◆鎌倉には小さな川も含めて11以上の川が流れている。川は風水的にも“気”や風の流れ、人の往来を変える大きな影響を持っている。


<南に流れる(海へ)>
  • 滑川(なめりがわ)
  • 豆腐川
  • 稲瀬川
  • 極楽寺川
  • 音無川
  • 行合川(ゆきあい)
  • 神戸川(ごうと)
<北西に流れる川>
  • 大塚川
  • 山之内川
  • 小袋谷川(こぶくろや)
  • 砂押川

例)八幡様のそばにある宝戒寺の脇を通って50mほど南に行くと橋が架かっている。その道の先は行き止まりになるが、橋の上とその先の祠あたりに、心身を癒してくれる心地よい“気”が流れている。

別サイトで鎌倉のパワースポットを紹介していきます。
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3.霊の存在とは?(見えてしまうんです)
 小さいときからみえていた。当たり前なので親にも友達にも話さなかった。当然、みんなも見えていると思ったからだ。よく怪談話にあるようなはっきりとした姿で登場することはあまりない。つまり脚や顔、首だけなど身体のある部分やボーとした全体像現れる場合が多かった。毛玉のような塊だったりクラゲのように漂っているのもある。臭いのするのもある。煙みたいに漂っているものもある。これは霊的存在といえるのかどうかわからないが、中には渦を巻いているモノもある。渦の多くは自分から見て右回りだが、中にはSの字のように上は右回りで下は左回りで連なったモノもある。近づくと耳奥で轟音がしたこともあった。

 中学3年ころから高校3年まで顕著に見えだした。特に自宅で多く出た。当時はスピリチュアルなどという言葉はみじんもない時代だったので、霊に関する情報はほとんど入手できなかった。教師や親に話そうものなら、病院へ直行だ。そういえば当時子どもの間で何か変なことを言うとすぐ「黄色い救急車が来るぞ!」と言ったものだ。鉄格子の檻の中に入れられたらたまらないので、このことはずーと内緒にしていた。しかし、相手はお構いなしに日夜問わずひっきりなしにやってくるものだから、自分なりに呪文や跋魔法(エクソシスト)を考案して使っていた。少しでも気を許すと身体の中に入って来そうになるのでこちらも必死に自前の方法や呪文で防戦した。大学生になり社会人になったときは、時たま見えたがほとんどその存在を忘れたかけていた。>>制作中.続く

 26歳の時、宗教家の道を歩むべく上智大学に入学する。哲学と神学を7年間学ぶ。これが後になって、霊的現象を自分の感情や妄想からくるものなのか、本当に外部からくるものなのか理性的に判断する基準となった。
霊的能力が顕著に現れたは38歳の時だった。


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4.子どもの時.....06/12/05
 鎌倉に長年住んでいると奇妙な現象に遭遇する。
特に、子どもの頃、見たアレは何だったのか?
幼稚園の頃、小学生、中学生の頃と何度もお目にかかっている。

 小学校1〜2年生だったか、ベットの中でウトウトしていた時、急に異臭がするので目を覚ますと壁を背に鎧を身にまとった武士が立っている。驚いて凝視していると、見ているのがわかったのかゆっくりと近づいてくる。今まで顔は兜に隠れてよく見えない。目の前まで来るとググッと身を乗り出して、私の顔の正面まで近づいてくる。荒い息づかいと今まで嗅いだ事のない異臭が漂っている。恐ろしい光景だが、なぜか妙に怖くない。しかし、親近感もわかない。顔は、兜と武面をつけているので暗くてよく見えない。これが幽霊、夜ばかりではなく、昼寝しているときも出てくる。幽霊は、丑三つ時(午前2時頃)が出どきなのにこれはルール違反だ。

 妹も何回か見ている。様子を聞いてみると共通点が多い。同一人物?の様だ。背は150〜155センチほどで小さいが、全体的にがっちりしている。動く度に鎧のすれる音がする。鎧は、かなり汚れている。鎧の汚れた赤い繋ぎ糸が見えたが、全体的に鉄のさびた色。大鎧ではないので、さほど身分の高い人物ではないが、雰囲気から強そうな武士だ。
 そのうち何回も出てくるので当たり前の光景の様にうった。高校生になってからは出なくなった。後日、場所は忘れてしまったが、ある博物館でこの武士の亡霊が出没する時と同じ臭いを嗅いだ。保存状態のよくない古い鎧が展示してあり、この臭いの元は鉄の腐敗する臭いだった。妙に納得した事を覚えている。

他にもいろいろ出てくる。
昼間でる場合もある。特定の遺跡や山際や谷戸に多く出没する。小学生の時、学校でこのコトを話してたら、オレも見たという同級生が多くいた。子どもは、お化けの話が好きだが、今にして思えば子ども達の間で怪談話をした記憶がない。日常的にでるからか?
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5.中高生の時.....07/01/05
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6.大人になって.....
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7.ヒーリング・気功治療.....
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 8.霊猫(猫は霊障を吸い取る).....
子どもの頃、家で猫をたくさん飼っていた。多いときは10匹以上いた。
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9.オーラビジョン


超常現象へ詳しくは“超常現象”をご覧下さい。

10.サイコメトリー

11.次元を超えて(異形のモノたち)
超常現象へ詳しくは“超常現象”をご覧下さい。
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